挨拶はするか否か

ブログを休止して早1年半振りとなる。
今回の内容は挨拶についてだ。
つい先ほどの話だが、わたしがゲームセンターから帰ってきた際に同じアパートの住人に会った。
単純にタイミングが合わないのか、他の住人に会わないよう見計らっているのかわからないが、住人たちとはなかなか会うことが少ないのでわたしの中では珍しい光景である。
外見が少々いかつい格好で、友人も連れているようだが似たような格好をしている。
外見にひるんでいる中挨拶をするかどうかもたもたしていると向こうから挨拶してくれた。
勿論返したがこちらからはできなかった。
この件は一瞬で解決したものの、自分から挨拶をしないことに対しての悔いが残った。
わたしは過去に挨拶に関するトラウマを抱えており、それ以降目上の人以外には自分から挨拶をしなくなった。(あまり蒸し返したくない記憶なので書かない)
今でも挨拶をした場合、無視されると人一倍精神的に傷がつく。
「わたしからの挨拶は迷惑だったのだろうか」
そう考えてしまう。
理由は数々挙がる。聞こえなかった、返す余裕がなかった、された後に気付いた(気付かなかった)など
実際に無視をされたら理由を尋ねてみたいものの、無論そんなことはできない。
だが、挨拶をしたら必ず返してもらえるという保証もない。
では一体、なぜ挨拶をするのだろうか。
これ以上挨拶に関する内容は深追いしないが、わたしは物事を利益、または損得で考える癖がついてしまっている。
そして「わたしはあなたに挨拶したので絶対に返してくださいね」という損得で決める考えと、過去の記憶が自分からの挨拶を足止めしている原因なのかもしれない。